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2012年 01月 16日
なめこ。あと1匹でコンプリート!
こんばんは、猫カフェの店員に顔を覚えられたヨケ猫です。 17年ですか。あの阪神淡路大震災から。 私の実家は震度4~5といった程度の揺れでしたが。 私自身は8歳でしたが、ハッキリと覚えています。 朝、テレビを見ると、本当にゴジラか何かがやってきたかのような光景。 家、ビルは文字通り跡形もなくペシャンコとなり、 高速道路はなぎ倒され、到底現実のものとは思えませんでした。 そういった地域は今、目まぐるしい復興を遂げ、 震災の面影を残すことなく人々が生活しています。 すごいなーって思いますよ。 でも、最近、ふと思うことがあるのです。 私は兵庫で生まれ育ち、大阪で学生生活を満喫し、 広島で2年仕事をして、今ここ、愛知県にいます。 兵庫、大阪にいるころは、1月17日に近づかなくとも、 震災に関する情報をマスメディアを通してちょくちょく見ていました。 震災被災者や、遺族の方、復興支援団体の話・・・。 特番が組まれることは無くとも、ニュースでチラッと話題になったり、 震災関連のイベント告知のCMやポスターといったものを、月2~3回は見ました。 しかし、広島に行ってみると、震災の「し」の字もありませんでした。 1月17日に特番をやる程度。当然といえば当然でしょうが。 そして、代わりと言ってはアレですが、広島では原爆関連の情報が絶えませんでした。 兵庫、大阪に住んでいたころは、8月初旬に、 「日本は唯一の被爆国。原爆の恐ろしさを全世界に発信すべきだ」とか、 「原爆の被ばく者、犠牲者の家族・遺族の苦しさはまだ続いている」とか、 そういった番組が特番で放送される程度でした。 しかし、広島では週一ペースで、原爆の話題を聞きました。 被害者たちが作った団体の活動の話、彼・彼女らの法的・社会的立場の話。 全く関係のない地域の人たちにとっては、震災も原爆投下も単なる史実であり、 紙の上でしか存在を確認できない抽象的な事象なんだなーって思います。 地元の人や関係者にとっては、史実以上のものであり、 それこそ、自分自身に直接書き込まれた具体的な事象なんではないでしょうか。 もう10か月近くになる、東日本大震災。 私自身にとっては、史実です。ですが、史実で済まされない人が、今も戦っています。 そんな人たちを応援しようと、「つながろう日本」だとか「絆」だとか、言われていますが。 正直、私はそんな言葉に虫唾が走ります。反吐が出そうになります。 もちろん、助け合うことが大切であるとはわかっていますし、 ボランティアや復興支援に尽力する人たちは素直に尊敬します。 でも、上に書いた言葉は、決してその人たちから発せられた言葉じゃないと思います。 その人たちを敬う、たたえるために発せられた言葉でもないと思います。 悪い言い方になりますが、自己満足のきれいごとじゃないでしょうか? そんな言葉を何千何万贈ろうが、色紙、手紙、横断幕に書こうが、 芸能人が現地に行ってライブやトークショーを行おうが、 言ってしまえば、被災者の腹の足しにすらなりません。 念のため言っておきますが、そういった物資の支給や、 チャリティーイベント自体を否定する気はありません。 それによって救われる人間がいることも事実ですから。 要するに、私は、きれいごとを並べて自己満足に浸っている風潮が好かんのです。 被災者の為にメッセージをつづる。 つづっているときは被災者のことの思っているでしょう。 それらが被災者のもとに届いたニュースを聞いて喜ぶ。 それで「いいことをした!」と思っている人間が好かんわけです。 それって被災者のためじゃなくて、自分の為にやってるんじゃないですか? ボランティアに行けとか、偽善者とか、不謹慎だとかいうつもりもありません。 ただ、そういったことが一種の風潮やステータスになってしまうのが悲しいと思います。 なんかムチャクチャ言ってる気がしますけど、 戦っている人たちには称賛と敬意を表し、 今日の更新を終えておきます・・・。 by yoke_neko | 2012-01-16 23:22 | Comments(0)
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